all along

言葉を綴りたい

選択するということ。

命について考える。
昨今の騒動の中で、命は決して平等ではないと改めて知る。

 

医療が機能しなくなった時、人は命の選別を行う事は歴史が証明済みだ。
人の致死率は百パーセントだ。
死なない人間はいない。
私は、命の選別をされる側になった時を想像する。

 

そのような状況に陥った時、パニック映画さながら、恐怖感に支配された人間は鋭い牙を向け始めるだろう。
それぞれの正義感をもって、生き残る事に必死だろう。

 

昔の名作映画のタイタニックを見た時、まだ幼かった私は、生き残ろうとする主人公二人について疑問が生じた。
「なぜそこまでして生き残りたいと思うのだろうか」
思えば私は想像力の足りない子供だった。
それと同時に、生きる事に対して執着のない子供でもあった。

 

私は自分の未来について考える。
私には守るべき存在もない。家族も作っていないし、人生を共にするようなパートナーもいない。

 

自由とは孤独なのだと思っていた。
だけど、孤独とは決して悲観視するものではない。孤独によって得られるものもきっとあった。

 

自ら選んだ自由の代償は、命の選別が行われる状況に陥った時に、選ばれなくなる事なのかもしれないと思う。あくまで個人的に。
その時、私は、もう大丈夫だよ、と笑いたい。
必要とされる命が救われるべきだ。
人を守れる命が救われるべきだ。

 

それが明日なのか五十年後なのか知らない。
だけど、私は笑って死を選べる人間になりたい。
守れる者を持つ勇敢な命を、守れるように。